ごあいさつ

ごあいさつ
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deep marine #1



歌が聴こえてきた。
玲瓏とした響き。
風に乗ってくるそれに誘われてきたのは、音楽室でも視聴覚室でもなくて、
よく分からないオイルの匂いが漂う美術室だった―――









まだまだ暑いくせに季節は秋になった。
秋の陽は釣瓶落とし、なんてどこの国の言葉だったかすっかり忘れたけれど、文化祭の展示用にスケッチを色付けしていたら定期考査終わりで中天にあった筈の少し黄色味を増したこの時期の太陽があっという間に橙色になって、そしてこの教室の窓とそう変わらない高さにまで落ちてきていた。
それにはたと気付いたのはいつの間にか床に腰を下ろして絵の具を弄っていた自分の斜め前に屈んで、この絵を覗き込んでいたらしい人が声を掛けてきたからだ。

「・・・絵も上手なんだね?」

「へ?」

前後の繋がりが全く見えないその人の言葉に頭を持ち上げながら首を傾げる。
と、その人は、驚いたー、とまた、声を上げた。

「その上、美人って!なに、神様はひとりに幾つプレゼントするの」

「・・・は?」

いよいよもっておかしな人だと思ったが、胸元に飾られたクラス章が一級上であることを示していて。
今更ながらに自分の発した間抜けな返答に慌てる。

「あ・・・の?」

慌てたところで出てきた次の音もほぼ何の意味も持たないもの。
そして、目に止まったクラス章から更に視線を上げれば、それ以上の驚きが訪れた。

「・・・・・・わー・・・・・・」

どうか叱らないで欲しい。
私が悪い訳じゃないと思いたい。

「ん?」

「・・・先輩、」

「なに?」

学校イチの、モテ男。
女の子達の話題に疎い自覚のある私だって知っている。
その人が、目の前にちんまりと座っていたのだから。





なんでも彼は、ひとり心を落ち着けて数週間後に迫る国を挙げての盛大な試験に向けた勉強に励もうとしたのにあれやこれやと構いたがる綺麗な女生徒さん達から逃れて社会科の教材準備室に籠っていたそうだ。
そして憂さ晴らしで続けているアルバイト(この受験地獄にあってアルバイトを続けているなんて最早意味不明だと思ったことは言わずにおく)にそろそろ出向こうかと誰もいないはずの廊下を歩いていたらどこからともなく珍妙な歌声が聞こえてきて、ここに辿り着いた、ということらしい。

「珍妙?」

「そんなこと言ってないでしょ、俺もその歌知ってるんだけど、節が違うんだよね、」

「歌・・・、あ。」

小さな頃にどういう経緯だったか忘れたけれど教えられた歌。
加えて言えば、歌詞の意味もさっぱり分からない。なぜなら聞いたこともない言語だから。

「俺の知ってるのはね、」

と言って口遊んだ。
遊び、というには惜しいほどの声色。
透き通っているようで、芯がある。
高いトーンも、深みのある低音も、自在に操っていて驚きに口が開いた。

「どう?」

「すごいです!」

顔だけじゃなくて歌も歌えるなんて、とよく考えてみなくてもだいぶ失礼なことを口走っていたらしいけれど、なんだそれ、と目を細めて笑っていたからきっと無礼なヤツだと思いながらも腹は立てないでくれたのだろう。

「うん、じゃさ、今度は一緒に歌って?」

「はい!・・・・・・、え?」

さん、はい!と拍子をとった彼に釣られて歌う。
確かに歌詞の原型は同じなのだろう。
節も違うけれど、
ぴたりと重なる和声に多分私だけでなく、彼も驚いて目を見開く。
歌いきって終止を柔らかく打つと、なぜだか涙が零れた。

「・・・っ」

「なにも泣かなくたって、」

「ぅ、だって、」

分からなくもないけどさ、と返してくれた彼はよしよし、と言いながら頭を撫で、親指で頬の雫を拭ってくれた。

「女の子泣かしたなんて、俺の沽券に関わるからさ、バイト先で今のお礼しちゃうよ」

「・・・そんな、申し訳ない、です、」

「まあまあ」

そう言って立ち上がると机の上に置いていた鞄を掴んでしまって。

「ほら行くよ、」

既に扉から半分身体を出して振り返るから慌てて画材とキャンバスを片付けて追いかけた。







「・・・バイト、先?」

「ん?」

連れて行かれたのはよくよく知ったところ。
厳密に言うと彼の勤務先はココではなく別棟にあるらしいが、今いるところは。

「あれー?今日シフト入ってたっけ?」

「・・・いえ、今日まで休みなんですが、」

「あら?」

時間の使い方がとても自由な女子大生の先輩が目敏く声を掛けてきて。
そう、ここは自分のアルバイト先のデリカテッセン。
なんなら店員の目が良く行き届くイートインも併設されていたりする。
様子がおかしいことに気付いたらしいけれど、それでもふふ、と笑いながらそのままベバレジと変わり種のマフィンを注文してカウンターへ促された。
店のあちらこちらから矢よりも鋭い視線が刺さってくるのがイヤでも分かる。どんなに鈍いと自覚のある自分ですらわかる。
居た堪れない気持ちになるのさえ彼は面白そうに見ているからなんというか。

「はい、おまたせ」

「・・・意地悪です、」

「ん?だってここでバイトしてるなんて言ってなかったじゃん」

「・・・もう」

「はは、別のところも考えてるから許してよ」

「・・・もういいですって」

言いながらマフィンをひと口齧る。
ぶつぶつと文句を心の中で消化しつつもやっぱりマフィンは美味しいからついつい笑顔になってしまったらしい。

「可愛いね、」

「・・・もう、」

目を細めて笑うのが、どうしようもなく照れ臭かった。
これを見ていた店員仲間たちが、あんな風に笑うことがあるのかとこの後店中でひそひそと話していたのはずっと後になって聞いたこと。







なんとなくからかわれた感が拭えないままデリを出て、今度は彼の勤め先へ連れて行かれる。
ファッションサイトの一角にある美容室がバイト先らしい。

「ウチ、そもそも両親が理容と美容やってんだよね」

「そうなんですか」

「うん、で、手伝うからバイト代くれって言ったらさ、いらないしやらない、って言われちゃってね」

「・・・将来は美容師さんですか?」

「まさか、そのつもりだったらもう少し楽チンな学校行くでしょう」

それもそうだ、私達の通う学校は市内でも指折りの進学校なのだから。
それに、統一入試に向けた勉強に励んでいた、と聞いたばかりだし。

「さ、さ、座って」

促されるままに腰を下ろしたシャンプー台。
ちょっと着替えてくるからそのまま待っててね、と言われて数分。
夕刻の、ちょうど客の切れ間らしい時間帯で他のスタッフさんが、制服デートなんて、とか、あいついきなりシャンプーなんてとんだ変態だな、とか、ツレは初めて見た、とか、口々に周りで言うものだから結局ここに居ても居た堪れない感は大変なものだった。

「もう、ほら、散ってください」

「わー、宜しくない態度、親父さんに言ってやるー」

笑い交じりの会話にも居住まいが悪く、ようやくスタッフさん達が行ったと思ったらシャンプー台が倒れた。

「え?」

「今度こそお詫び。泣かせちゃった。こう見えてもシャンプーは上出来だって親父も褒めてくれてるからね」

そう言ってシャンプーを始めた彼は黙ることもなく、喋りすぎることもなく優しく丁寧に触れてくれた。
今まで美容院に行っても女性にスタッフにしか当たったことがなかったから男性の指先の力がこんなものだとは知らなかったし、髪を切るための準備行為でしかなかったから心地のいいものだと思ったこともなかった。

「んー、すごく気持ちいいです」

「わー、そういうの、簡単に言っちゃダメだろう」

「なんでですか?」

「・・・まぁ、おいおいね」

「変ですー」

「はいはい。そうだ、このシャンプー、いい香りでしょう」

そうなのだ。美味しそうな果物の匂いだなあ、食べたくなるなあと正直に感想を漏らせば、また笑う。
うん、好きそうだと思ったんだ、持って帰ってねと言われたのは髪を乾かしてもらっている時。

「え、」

「お詫びって言ったでしょ」

はいおしまい、と促された時には既に鞄もシャンプーもコンディショナーも揃って持たせられていて。
送れないけど気を付けて帰ってね、また明日、という言葉に、こくりと頷いて店を出た。

帰りのバス。
顔の周りには彼の選んでくれた香りがあって、
なぜだか胸の奥がうずうずとしていた。













それからというもの、バイトの無い日に美術室で放課の活動に勤しんでいると決まって彼が現れるようになった。
さすがに試験が差し迫っているのもあり、アルバイト先のスタッフさん達に来るなと言われたと拗ねた口調になったのが可愛らしくて思わず笑ってしまったら、そんなこと言って来年、試験でうんうん唸ってても助けてやらないからななんて言われて、そんな先の話をどうしてしてくれるの、と笑いながらまた、胸の奥が軋んだ。
半日授業の後、アルバイトまで時間があるからと美術室に向かう。
文化祭の展示用の絵はとっくに仕上がったのだ、活動は自主性に任されているのだから一度帰宅すればいいのに。
どうしてここにやってくるのかなんて、本当は考えなくたって理由は分かりきっている。
はぁ、疲れた、と入ってくる彼だって、ここに自分がいると半ば確信的、だと思う。
次に出てくる言葉は、『腹減った~』で、自分の昼食用に用意してきていたおにぎりを差し出せば嬉しそうに受け取った。
二時間ほどして、休憩、と呟いた彼が床に座り込み、とんとん、と床を叩く。
座れということだろうかと同じように座り足を伸ばせば、ゴロリと寝転がって。
ちょっとだけ膝貸して、とそのまま目を瞑る。
最初はあまりの出来事に驚いて彼の頭を床に落としたけれど、試験前の頭に何する気だと大げさに半笑いで抗議されてからは、本当は毎度こちらが異議を唱えたくなるほど胸がバクバクするけれど堪えて、言うがままに彼の安息を願う。
確かに静かに伏せられた目の周りは疲労の濃さをよく映していて。
時折きゅっと寄る眉間が口にはしない重圧感を思わせる。
瞳の色より何段か明るくしている髪色も、上から覗くと少し根元の色が深くなっていてやっぱり大変なんだと改めて思う。
さらさらと小さく身を動かす度に揺れる髪。
そっと触れてみれば毛質は違うだろうに自分のそれと感触が似て。
色んなことが違うけれど、これだけは一緒だ、と少しだけ浮く心。
浮かない大部分は、彼の気持ちが見えないことが理由だなんて言える筈もなく。
こんな風に時を過ごしながら、どんなに彼が甘い言葉をくれたとしても額面通りに受け取ってはいけないとどこかが走り出そうとする心にブレーキを掛ける。
ブレーキを掛けたところでコップの水は今にも溢れそうで、零れてしまうのは時間の問題のような気もしたが。
睫がふるりと震えた。
男の人を相手に綺麗だなぁなんてぼんやりと思っていれば、ゆっくりと瞼が上がって。

「あれ、寝ちゃった?」

「お疲れのようですね、30分ほどですよ」

わー、ごめん、足痺れちゃったんじゃない?なんて慌てて起き上がろうとするから、大丈夫ですと返して目を手で覆う。

「バイトの時間までまだあります。もう少し休んでください」

「・・・なんのサービス?」

「先輩を敬う、後輩の気持ちです」

そっか、といった彼が手を外し、閉じていたと思った目が、合う。

「・・・髪、いい匂い」

下ろしたままにしていた髪の毛をひと筋掴んで、指で遊んだ彼が言う。

「先輩の髪も、いい匂いがします、なんの香りですか?」

もしも分かったなら、今度は彼と同じ香りを纏ってみるのもいいかもしれない。そう思い付いて聞いてみる。
けれど。

「なーいしょ。」

そう言うと同時、彼の指を髪はするりと抜け、起き上がった後には彼の香りが舞って、散った。








初雪か、統一試験か。
だんだんと冷え込んでくる日々に、いよいよ3年生の教室がある階層は殺伐としてくる。
健康増進のために進級するごと校舎の階層が上がっていくシステムになっているこの学校はありがたいことに彼らが階下に降りてこない限り触れ合う機会もなく、殺伐とした空気は階段室を通して伝わってくるものの、実害は特にない。
うるさい、なんて言われないよう音が発生するような、例えば音楽の授業はこの時期休止する。アルバイトの時にこの話をしたら、進学校は変なところだね、と笑われたから曖昧に笑ってみたものの、確かに昨年は異様だと感じたものだ。
集団生活故に風邪予防と称して登校を控える生徒もいるらしいが来年の自分がどうなっているかを考えると笑える話でもないからともかく刺激せず、迷惑にならないよう下級生はただ静かに毎日を送っていた。
放課といえば変わらず誰もいない美術室でスケッチブックを抱える、ということだが、変わらず彼も訪れて見るともなしに英単語帳を捲ってみたり、世界史の参考書を開いたりとゆっくりとした時間を過ごしていた。
勉強捗っていますか、なんて聞くことは無い。
頑張っている人に鞭を打つ必要はないのだから、この時間をゆっくり過ごしたいと思っているらしい彼をただ、傍で感じるだけ。
暗くなってくるとやおら伸びをしてじゃあ帰ろうか、というから、はいと頷いて、正門から数メートル先にあるバス停までの道を付かず離れずで歩く。

来週末の試験が終わったらどうするのかなんて、聞きたくない。


と思っていたけれど、やはりあっという間に大騒ぎの週末は過ぎて、それ以降格段に登校する人が減る4階の教室はほとんど音がしなかった。
今日はアルバイトがあるから美術室には行かない。
じゃあ明日は。
今までと同じようにひとりでスケッチブックを開いて、絵を描けばいい。
もう冬の足音はすぐそこまで来ているもの、暗くなるのだって早くなった。
最終下校の時刻も早まったからそう長い時間活動に励む必要もないじゃない。
でも今までと同じようにって、どうだっただろう。
遠くに吹奏楽部の人達が鳴らす楽器の音を聞いて、野球部の人達の掛け声を聞いて、時折廊下を駆けていく女生徒のはしゃぐ声を聞いて、それで、それで。

・・・扉を開く手前、きゅっと鳴る上靴の底。
その音を聞いて、今更ながらに髪を整えたりスカートの裾をつまんだり。


ずっと前の習慣なんて、もう、思い出せなかった。








萎んだ気持ちのままショーケースのカウンター内に入る。
秋らしく茸をふんだんに使った総菜や、濃い色目の肉料理などが存在感を増して、次第にホリデーシーズン向けの料理に移ろっていくだろう。普段はあまり扱わない鶏肉料理も増えてくる。
ベーカリーも、前に彼と食べた変わり種のマフィンはもうなくなっていて、まだ店から遠くにいる母親を大きな声で呼ぶ子供たちがチョコバナナやイチゴの定番マフィンを強請っているのを微笑ましく見つめていたらお願いします、と声を掛けられた。

「紫芋と南瓜のマフィンてもう終わっちゃったんですか?」

「・・・あ、」

トレーの真ん中にキャラメルナッツのマフィンをひとつ載せた彼が現れた。

「先月末で、終了してるんです」

「・・・美術室行ったら真っ暗で、ちょっとびっくりした」

「・・・だって、約束なんて、してないですもん」

「そうだけど、」

「どうぞこちらへ、」

何をか言い募ろうとする人に、紙袋に入れたマフィンだけを手渡して立ち退いてもらう。
あとはどんな風に仕事をしていたかなんて、まるで覚えていない。



あんなことがあったんだから、今日はきっと来ないだろう。
素っ気ない後輩の、先日までの労いひとつ、思い遣りの欠片も見当たらないような態度にきっとどんなに心が広い彼だって、試験がひと段落して心に余裕ができただろう彼だって、いくらなんでも腹を立てただろう。
だから今日はもう部活なんて行かないで、帰っちゃえばいい。
そう思っていたのに、気が付けば美術室の扉の前。
習慣てこわい、と思いながらひとつ息を吐いて、扉を開ける。

ほら、変わり映えの無い景色。
じわ、となんでか涙まで滲む。

しゃがみ込んで抱えた膝に顔を伏せた。
と、扉一枚隔てた向こうに、靴の鳴る音が聞こえて。

「わ、どうしたの!」

ガラリと開けた音、続く彼の声。

「な、んで来るの、」

「来ちゃダメなの」

蹲ったままの問いに、今度はカラカラと扉を閉めた音を聞く。
前に回り込んで同じようにしゃがんだのが分かる。
顔見せて、と両の手に頬を挟まれれば、その手に従い顔を上げるほか、無く。

「なんで、泣いてるの」

つれなくされたのは俺の方なのに、と苦笑めいた声。

「・・・っ試験、終わったら、もう、来る必要、無くなっちゃうって、」

「勉強の骨休めに来てたって?」

「・・・違うの?」

幼い子供のような返しに、どうして神様は勘の良さはプレゼントしてくれなかったんだろうね、と頭を撫でながら呟いている。

「俺ね、結構ひどい奴なんだよ、知ってる?」

「・・・モテる男は酷い男だって相場です」

はは、あながち間違いじゃないねと笑う。

「好きなんです、って言われたって、なに、顔のこと?って腹ん中では思っててさ、笑ってありがとうなんて言いながら」

「・・・悪い男です」

「ね、一目惚れなんてさ、この世で一番信じられないって思ってた」

「・・・その見た目じゃ、仕方ないです」

「その顔した人に言われたくないなぁ」

自分だってびっくりするぐらい美人のクセに、なんて頬を摘ままれる。
顔のことはよく言われるけど、毎日見ている顔に何を思うことは無いし、大事なのは中身だと思っているから。
彼は要するに社交的に振る舞っているが故に、陰気に見られるのと人見知りがあるのでなんとなく内向的だと思われているらしい自分とは、周りの人からのアプローチのされ方も違ってきたのだろう。
だから、彼の自身に対する周りの評価と自分の思う自身との間に生まれた齟齬を嘲笑し、悪い男なんて、言うのかもしれない。
けれど、私の見てきた彼は確かに年上ぶってからかったり、困らせたりとするのに、根底にはいつも優しさがあったから、だから平気と言うくせに、歯を食いしばる姿を歯痒く思い、少しでもその疲れを休めることができればとここに居たのだから。

「でも、トリガーポイントがどこだったかって考えたら、あの歌を聞いて、顔を見た時だもん」

一目惚れ否定してきたのに、おかしいでしょ、とまた笑う。

「一目惚れじゃないって思うためにさ、どうしてここに来たいのかって一生懸命考えた。もう単語帳の中身なんか見えなくなるくらい。静かでいいとか、偶に弁当ご馳走してもらえるとか、膝貸してもらえるとか、髪、撫でてくれる手が気持ちいいとか、さ」

「・・・っ、知って、」

「知らない訳ないだろー、顔赤くならなかったのが奇跡だよ」

おまけに無意識はおっかないよな、と続く。
こちらと言えばあまりの恥ずかしさに顔を覆いたくなるのに頬を挟んだ手に阻まれて無抵抗状態だ。

「顔、触ってたことあるだろ。こっちはさ、ひたすら寝てるふりするしかないのに時々ふふ、とか笑ったりしてさ。心臓がいつぼろんと転がり落ちるかって瀬戸際だったんだ」

「言ってくださいよ!」

「言うか、嬉しかったのに。つか自分の純情に驚いてたさ、なんなら。今までいくらそんなことされたって何も感じたことなかったから」

ああぁ、と穴にすっぽりと隠れたいのに、まだあるらしい。
純情を打ち破る彼の、仄めかされた経験値についてはこの際知らないフリをして。

「しかも膝枕しながら寝落ちしたこともあるの、知ってる?あれは・・・、眼福だったな」

「へ?」

「そうやって、一目惚れを否定しながら『いいヤツだ』ってところを一生懸命探して結局好きに繋がって、後戻りできないってとこまで来てようやく、やっぱり最初から好きだったって、認めるっていう往生際の悪さ、笑うしかないだろ?おまけに試験終わって今日こそ、って思ってきたら教室真っ暗だわ、バイト先に押し掛ければ冷たくされるわ、俺、昨日多分家で泣いたよ?」

寝顔まで晒したかと項垂れる間もなく、彼の口から零れ落ちてくる彼の想い。
それは、自分が想いを募らせてきた過程と通じていて。
互いの想いが見えるようで見えないことに悶々とした日々を、隣り合わせにして過ごしてきたということなのか。

「約束なんて、できなかった。だって、もう来ないでなんて言われたら、」

「は、初めてのことだから・・・、思い違いだって言われたら、」

続けようとした言葉は、唇に触れた彼の人差し指に押し戻されて。

「・・・はじめから、好きだった。歌う声も、描く眼差しも。何も言わないでくれた優しさも、膝を貸してくれた温かさも。だから、願えるのなら、もう傍に居たくないって思われるようになるまで、一緒に居て欲しい」

「・・・好き、です。だから、私も、一緒に居て欲しいです」

唇から離れた指は、再び滲んできた涙を優しく拭ってくれて、よいしょ、と立ち上がると手を引っ張り上げつられて立ち上がる。
もう一度、じっと顔を見つめられて、恥ずかしさに俯こうとしたら、腰と背に腕が回され、抱き寄せられた。
近付いた顔が耳元に声を落とす。

「はじめて、全部貰うからね、覚悟して」

え、と返すよりも早く、柔らかな唇が口付けをくれた。

「まずは手始めに、ここから」

そう言って。
もう一度、優しいキスをした。







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おはようございます*0914



毎度お越しをいただきましてありがとうございます。
木曜の朝、皆様お過ごしでしょうか?

というか、中学校の運動会の応援にドラム缶を叩くのはまだ一般的な行事なんですね…。
アタクシの時代にもドンガラドンガラとドラム缶を叩いていましたよ?
なんなら男子生徒に学ラン借りて、剣道部に道着を借りて三三七拍子踊って(←え)ましたよ?
あれから何年経ったのか・・・。
けたたましさに先週土曜の朝、起こされたなんてことがありましたっけ。

今週は大変です。
職場の同僚が何でも、私がドラム缶の音に吠えた先週土曜、犬の散歩中に左足の小指を骨折した、とかいうので(まさか屋外とは思いませんでした、ベッドの足にひっかけたとかそんな類の話だと思ってたら、まさかの散歩・・・)、デスクワークに徹してもらうのか、そうか注射調剤は他メンでやるんだねよしよし、となっていたんですが、なななんと、わざわざ診断書を整形外科医に書かせて「2週間」休むんですって、奥さん!!マジか、ひとり退職しててんやわんやだってのにその感じ、つーか私来週夏休み取るって分かってんのにそれすんの、マジで?だからもうっ!なんて思っていたら、その整形外科医が「・・・あのひと、だいじょうぶなんですか?」なんて薬局を憂えてくれるというオチがついてきたって話がありました。
勿論、夏休みを返上なんてことはしません。今更キャンセルできないし。私、いいひとではないもので。へへ。
他の科の職員さん達にも色々と心配してもらったけれど何せ専門職。どんなに手伝いたいと思ったところでお互いに無理な職場なんですよね、医療って。だからせめて処方は院外に廻してくれと心の底から願う日々ですコノヤロー。

愚痴をすみませんでした。

先日、私の両親に(あくまでも私の)、帯状疱疹の予防接種を受けさせました。
50歳以上への帯状疱疹予防の適応が通ったんですよね、早速やりました。
だって、歳をとっていって、そんなんになって、痛い痛いとブツクサ言われるようになったら堪らない、という私への予防策。
勿論時が来れば肺炎球菌のワクチンも公費負担を受けられるヤツと、そのあとにはもう一種類のを接種させる予定です。
・・・私の、両親に(笑)
相方については、相方が考えればよく、私は情報提供を済ませているので放置です。ひどいひと。
そろそろインフルエンザの予防接種の季節にもなりますからね、10月の末には!完了しておきましょうね!
皆さんも、是非に!(まわしものじゃないですよー、ただ、集団予防というのは本当に大切なことですからね)


さておき。
フォトグラフ、お楽しみいただけたでしょうか?
よくよく見ると大分長い話になってましたね、ちょっと裕福な家庭に育ったスヨンと高卒専門学校出なジョンウを想像してウハウハして貰えてたら幸いですー。

そして、明日の予告をしちゃいます。

小話更新です。
今度もデリ売りの女の子ですが、また違うパターンを繰り出す予定です。
3部構成にしました。
お楽しみいただけると幸いです。


それでは、明日の朝9時!
またのお越しを、お待ちしております<(_ _)>




フォトグラフ



ショッピングモールは広い。
高校生の頃からここのデリカテッセンでアルバイトをしてはいるものの、この食品フロアと、ホリデーシーズンに装飾が一段と華やかになるガーデンサイト以外には殆ど出向くことが無くて、バックヤードこそ訪れるお客様から見えないところであちらこちらが繋がっているものの要するに足かけ4年ぐらいここに通い詰めているのにも関わらず勝手知ったるで動き回れるのはこの食品フロア以外なかったりする。
ただ、ひと口にフロアと言ってみてもこれまた広大で、伝統料理、洋食、伝統料理以外のアジア各地料理、洋菓子、伝統菓子、茶、酒などそれぞれ区分けされていてひとつひとつの店を回ったらひと月はかかるんじゃないかと思うほどの充実ぶりで我が職場ながらここだけでも十分楽しめるなあ、なんて思っている。

そして、楽しみのひとつにしているのが、各店舗にあるショーウィンドウのディスプレイ。
毎月入れ替わっていくそれはひとつのテーマをそれぞれの店舗の特色を汲み取って形にしたものになっていて、それを一軒一軒見て回っていくのが本当に楽しいのだ。
モノづくりを楽しむようになったのはそれこそ粘土をいじくって動物を作ろう、なんてやり始めた幼い頃からで、最近では誰かが創った作品をスナップショットとして残すことにも興味を持つようになっている。
アルバイトで得た収入は幸いにも自分の為にだけ使える環境に育ったため、ちょっとずつの蓄えも怠ってはいないが、一眼レフのカメラ、コンパクトデジタルカメラ、インスタントフォトカメラと手元に置けるようになった。
デリの新作惣菜が出ると、テーブルセッティングの一例として写真を撮るようになり、店頭に飾ったりすることもあった。
モールの広報担当が店舗ディスプレイに使ってみたいと言われている、と連絡してきた時には是非にという思いよりもいいのだろうか本当に、なんて不安に駆られ相当尻込みしたものだ。


大学3年の夏。
着替えを済ませてさあ帰ろう、という時にレジカウンターの下に携帯電話を置き忘れてきたことに気が付いた。
四六時中持っていなければ不安で仕方がない、なんてことはなかったけれど失くして困るのは自分というよりもあの小箱に収められた個人情報を渡してくれている人達に多大な迷惑をかけてしまうということであって、いっそ持つのをやめた方が良いんじゃないかと思っているぐらいだから、ともかく慌てて取りに戻った。
而して戻ったフロアは既に照明が少し落ちていて、ああ、ごめんなさいと心の中繰り返しながら店舗に辿り着くと、ショーウィンドウの前だけがなんだか賑やかしくなっていた。

「脚立、持って入って、」

「はい」

どうやら男性がふたり。そんなところが開くんだ、と普段は目隠しされている部分が扉になっているらしく出入りしているのが見えた。

「・・・お疲れ様です」

小さな声を掛けて扉の横を通り過ぎると装飾物を頭より高く積んだ人がにょっきりと現れて。

「・・・わっ!」

「あれ?ごめんなさい!」

倒れてくるエアキューブやビニールボールをあたふたと受け止めながらこちらこそごめんなさいと今度は聞こえるだろう声量で返した。

「大丈夫ですか?軽いものだけど角当たったりしてない?怪我してない?」

「いえ、どこも、大丈夫です」

ちゃんと大きな声を掛ければよかったです、本当にごめんなさいと謝れば、顔中を笑顔にしてこちらこそ過積載だったんだから、ごめんねと笑っていた。



無事に携帯電話を回収して戻ると、二人は淡々と作業を進めていたらしく飾り付けは終盤に差し掛かったようだった。
さっきの彼が手にしているのは数日前に自分が撮った、夏らしいタコのセビーチェとバケット、定番のパストラミビーフとライ麦パンの2枚の写真。何の変哲もない構図の写真なのに、夏を意識したような泡ガラス風のタイルで額装されたそれはバスケットに入れられて今にもビーチに連れ出されそうな仕上がりになっている。

「わー・・・」

ディスプレイが変わっていく度に毎回魔法みたいだとは思っていたけれど、その魔法を生み出す手を見て興奮しないわけがない。
その声に反応したらしいここで言えばディレクターさんみたいな人が振り返って。

「毎回、あの写真には助けられてるんですよ、ここの絵コンテが一番最初に出来上がるんです」

「・・・そうなんですね、」

「あの写真のアレンジは、中に居るヤツがやっててね」

「あの額装ですか?」

「そう」

まだまだ経験は浅いけど磨けば光るセンスを持ってるんです、本人には内緒ですけどね。
楽しげに話すのを見留めた『中のヤツ』さんが、あー!ナンパして、奥さんにチクっちゃいますよ!なんて喚いている。
顔を見合わせて笑っていると、ブツブツと言いながらその人も出てきた。

「まったく、コッチは汗だくで頑張ってるのに、なに楽しそうにしちゃってんですか!」

「なんだよ、まだ10分の1人前ぐらいしか働けてないくせに生意気言うな!」

恐らくは上司と部下のような関係だろうに、兄弟のような気易さで掛け合うのをみて思わず笑ってしまう。

「ほらー、笑われちゃった、」

「笑われたのは俺じゃない、オマエだよ、このちんちくりんが!」

「もう、」

中のヤツ、さんが首に掛けたタオルで顔の汗を拭う。
だけど少しもくたびれた感じは無く、ただ楽しいという気持ちがひしひしと伝わってきてなんとなくこちらまで楽しくなる。

「中のヤツ、さん、」

「・・・、俺?」

うん、と首肯すれば面白いこと言うね、と返されて。

「あの写真、」

「ああ、あれね。前から気になってたんだ。いつもショーケースに飾ってあったでしょう。俺達来るときはもうすっかり中身は片付いてるんだけど、あそこに飾ってる写真見ると本当に食べたくなっちゃうんだよね、今回のもさ、ヨダレ、なんど拭ったか分かんないよ」

「・・・え、」

「や、さすがにそれは無いけどさ」

はは、と笑いながら作業のためにだろう敷いていたビニールシートを手早く纏めて。

「これから今日は徹夜だよ~、明日の開店までに全部のディスプレイ仕上げるからね、楽しみにしてて」

言うと、隣の店舗に歩いていく。
のを、抱えたビニールシートを掴んで止めた。

「あ、の!」

「んー?」

急いたスケジュールの割にのんびりとした声。
これ以上引き留めてはならないと思いつつも。

「写真、ありがとうございます」

「・・・、もしかして?」

「そうです、私が、」

「そっか!いつも楽しみにしてるんだ、ありがとうね!」

「あの、」

そう言って、肩にかけたバッグをゴソリと漁って保冷バックを差し向ける。

「これ、その写真のセビーチェをサンドにしたんです。家に帰ったら食べようと思ったけど、是非!」

「マジで、いいの?遠慮しないよ?」

うんうん、と高速で首を縦に振る。
じゃ、あの人にばれない様に急いで食べるからね、ありがとう、とまた顔全部で笑って歩いて行った。


そんな、彼との出会い。




作業は毎月15日。
初めての出会いから、毎月15日は必ず最終のシフトに仕事を入れるようにして。
2度目からは2人分のサンドウィッチを用意して閉店後のフロアをこっそり覗き見るようになった。
アルバイト先の店舗もそうだけれど、大なり小なりあるにせよこのフロアすべての店舗の装飾とフロア入口の大きなディスプレイを整えるのはたったふたりのデザイナー兼作業員ではほぼひと月を要するらしく、更に搬入直前は徹夜になるんだとか、そうじゃなくても徹夜が多くて先輩さん(と言っても立派に社長さんらしいけれど)は時々顔を忘れられてしまって泣き出す子供にこっちももらい泣き、なんて働くお父さんの悲哀をそうは言いながらも楽しげに話してくれたり、後輩さん(は正しく平社員らしい、ふたりだけの事務所だけれど)は故郷を離れて独り暮らしをしているそうだが、家賃を払うのがバカバカしいほどにその部屋には帰れていないと嘆き、だけど辛いけど楽しいと思える仕事に就いたのだから幸せ者だと微笑んでいた。
お嬢さんは、と、まるで何かの面接のように住んでいるあたりや通う学校の名前を問われるままに口にする度、本当のお嬢様だったんだとか、女子大の女子大生なんて初めて会話したとか、や、だからってどんなに金に困っても金蔓にしようなんて考えてないからね、なんて変な念を押されて笑うこともあった。

お時間のある日を教えてください、と家のダイニングテーブルの上に無造作に置かれていた舶来絵画の展覧会のチケットを差し出した時、「暇は、俺が決めた日」と先輩さんがすぐ次の日曜日を指定してくれた。照れ臭そうに頭を掻いた彼の耳が少しだけ赤くなっていたのが嬉しくて、それ以上に多分赤くなっていた自分の頬のことは知らないフリをして待ち合わせの時間を決めた。


いままで付き合ってきた男性には、いつも食事に連れていってもらったりプレゼントを渡されたり、なんて、自分から何かをしてみようと思ったことなどなかったけれど、彼に出会って、たとえデリの余り物で作ったサンドウィッチですら本当に美味しそうに食べてくれるのを見て、どこかに美味しいものを食べに行こうなんていうより、拙いものでも温かい、出来立ての物を食べてもらいたいとか、そんな風に思うようになって家でも料理をするようになった。
そんな自分の変化に母は気付いていたようだけれど、まだ彼の事は話したことがなかった。


初めて彼の、ほとんど帰ったことがない、という部屋にお邪魔したのは、初雪が降って少し経った頃。

寒いね、鍋食べたいね、と続けた彼が少し口ごもって、なんもない部屋だけど鍋の道具はあるんだ、と、いつか見た時のように寒さのせいじゃなく耳を少し赤らめて言うのが何だか可愛らしくて、2つも年上の人だということを忘れてしまいそうになる。
うん、寒いよね、大した料理は出来ないけど、お鍋の用意ぐらいなら出来るよ、と、ちょっと笑いながら返したら、もぅ笑って!なんて少し口を尖らせてから、大好きな、元気をくれる笑顔になった。

スーパーマーケットに寄って野菜を買ってお肉をを買って。
辛いのが実は苦手だと話すと、目を真ん丸にして外国暮らし長いの?なんて聞いて笑うものだから、拗ねたふりをしてずんずんと先に歩いたら、プリンを2つ持ってきて、これで機嫌を直してくれる?と上目遣いを繰り出して。
こんなに楽しい日が訪れるだなんて、思いもしなかったと急に胸が熱くなる。
胸が熱くなったら目頭まで熱くなって。
会計を終え店を出たところで両手に買い物袋をぶら下げた彼にぼろんぼろん泣きながらぎゅっと抱きついた。

「わ、どうした?そんなに怒らせた?シュークリームも買ってこよっか?」

「・・・そんなに食い意地張ってないです」

「んー、じゃあこうしたら、どう?」

そう言って荷物をアスファルトの上に置き。
空いた両手に頬を挟まれて、彼と何度目かのキスをした。

小さな卓で小さな鍋から上がる湯気の向こうに、美味しいと繰り返しながら、猫舌なのかふうふうと冷まして野菜や肉をモリモリ食べるのを見て、また泣きそうになる。
すん、と鼻を啜ると、温かいの食べると鼻垂れるよね、と分かっているくせにまた揶揄おうとするから彼の箸が狙っていたお肉を横取りして、お肉なくなっちゃいそうだったから、と笑って、泣いた。

小さな卓を片付けるとテレビもラジオも無い部屋は急に静かになって、本当に生活感が無いと改めて思う。

「今日は、泊まってもいい?」

「大丈夫なの?」

三角に座った膝の上に顎を乗せたまま呟くように聞けば、少し驚いたようにこちらを向くのがわかった。

「いくらなんでも、成人した娘にそこまで過保護な親はいないですよ?」

「そのぐらい過保護なんじゃないかって思ってたよ」

あはは、と笑う彼は多分本気で心配してくれてたんだと思う。
女性と付き合うのなんて初めてなはずもないだろうに、すごく大切にしてもらえてるのが嬉しくて。
こんな風に大切にしてもらったことなど、いままでなかったから。
だから、彼がはじめての人でないことに、どうしようもなく悲しくなる。

「嫌で泣いてるんじゃないって、分かるけど」

膝に伏せた顔を、鼻水を啜りながら持上げれば、優しく笑う彼がまた、口付けをくれて。

「どうせなら、さっきみたいに嬉しくて泣いてくれちゃう方がいいな」

「う・・・、ん。も、泣かないです」

でも、よしよしって言うように頭を撫でてくれるから、じわじわと溢れてくる涙は止まらず。
泣き止んでてよって言われてお風呂に見送った後も、戻ってきてまだ泣いてたのって目尻にキスをくれた時も、じわじわは結局じわじわしっ放し。
入れ違いでお風呂を借りて、顔を冷たい水で一生懸命に冷やして。少しは赤みが引いたかな、大丈夫かな、なんて少し緊張して部屋に戻ると、いつの間にか敷いていた布団の上に彼がちょこんと座っているから、ふふっと笑ったら一緒に緊張まで少し飛んで行った。

布団に縺れ倒れて、触れられて、触れて。
意識がどこかに飛んでいってしまいそうになる度に名を呼ぶ彼に引き戻される。
込み上げてくる涙を我慢するごとに彼の名を呼んでキスをせがんで。
少しの距離も持たずにぴたりと寄り添った時、結局涙が零れた。

「・・・なんど泣くの?」

「だって、」

「でも、俺も泣きそう」

温かくて、幸せで、
幸せで泣いちゃうって、初めてだ

その言葉にふたり、一緒に震えた。






















「ご挨拶に、伺いたいんだ」

進級する頃。
桜にはまだ早くて、でも春を感じたいと川沿いの公園でのんびりしていた時だった。
小さな子供を両腕にぶらさげた父親ときゃっきゃとはしゃぐその子供達が楽しそうに笑うのを、そこから少し離れたところにいる母親らしき人が、すごく幸せそうに微笑んで見ているのをファインダー越しに眺めていたけれど、それを収める前に手を下ろす。

「・・・うちに?」

「そう、お母さんにはお会いしたことあるけど、お父さんにはまだでしょ、」

「そう、だけど・・・」

「今日、時間をいただいてるんだ」

「え?」

急なことに頭が追い付かない。
付き合っている人がいます、と父に告げた時、恋愛は自由だと返されたが変に含みを持った言い方だったのが妙に気になっていた。それから数日して釣書を持って帰ってきた父になんと言われたかなんて思い出したくもない。
高校を卒業して、アート系の専門学校を修めて。そこからすぐに兵役に行って戻ってきて、今の仕事に就いている。
一生懸命働いて、きっと天職に就いたんだろうとそばで見ていて思う彼の、何に不満があるというのか。
彼に会って、父の考えが変わるなんてことはあり得ない。
きっとひどい言葉を浴びせて傷つけるに違いない。
そんな出来事があったのはそう遠い日のことじゃなかったのに、なんで、急に。

「夕食を一緒に、って誘っていただいたよ、びっくりさせちゃった?」

「・・・、でも、父は、」

「実はすごい緊張しててさ。テンパりすぎて親父に電話して手土産何がいいかなとか、2時間も相談しちゃったよ、」

結局何にも解決しなくって、とりあえず朝から何度も歯を磨いちゃったんだ、といつものように満面で笑う。

「気に入ってもらえないなんて分かりきってることだよ?大事なお嬢さんを、大学も出てないような、お堅くもない、将来だってどう考えても不安定な仕事してる、そんなヤツに渡したくないって考えるのは普通のことだと思うし。親父だって、お前みたいな男に姉ちゃんはくれてやらんって言ってるぐらいだよ。安心要素なんて兵役済ませてるってことぐらいだもんね、」

手からカメラを抜き取って、丁寧にケースへ納めてくれる。
不安に揺れているだろうこの目を、逸らすことなく見つめ返してくれる。

「大丈夫、いくら気に入らないからって切って捨てられるわけじゃなし、」

「そんな、」

「たとえ切って捨てられても、再生能力あると思うから、大丈夫!」

ね、だから、何も起きていないうちから泣かないで。
額を合わせて、吐息がそう囁く。
うん、と返しながら。
どうしたら彼を守りきれるだろう、守り抜くことができるだろうか。
そればかりを考えていた。





白々しい雰囲気で進む彼を交えた家族の夕食は、きっと使徒たちの最後の食事よりずっと重苦しいものだっただろう。
彼に問いかける父の言葉のひとつひとつが、彼を厭らしく貶めるようで聞くに堪えなかった。
彼の耳を塞ぎ、視界を遮り。
それができないならせめてテーブルの下、手を握ってあげたい。
そう思っても、隣にすら座らせてもらえなかったからどれひとつも叶わなかった。
書斎に呼ばれた彼のシャツの裾を引いて、もういい、これ以上傷つく必要はないでしょう、そう見つめると、それでも、大丈夫だよ、と言って頭を撫でてくれる。

泣き暮れる以外、何ができただろう。


お帰りだ、と父の声が響く。
彼だけが部屋から出てきて、けれど、その表情は思ったよりもずっと晴れていたから不思議に思う。
私を見て一度頷いて、それから母に挨拶を告げると、駅まで送ってくれる?と手を引かれた。


「・・・また、泣いたの?」

「だって、父があんな、」

「まあ、きつかったけどさ、一周廻って冷静になると、言い回しが辛辣なだけで、全部本当のことばっかだったしね」

「・・・、ごめんなさい」

「謝る必要はないよ」

繋いだ手、彼の親指が手の甲を撫で続けてくれる、それに安心していいのか、それすらももう分からない。

「でもね、もう会わないって約束した」

それは、明日も一緒にご飯を食べよう、そう明るい未来を約束するぐらいの声で告げられた。

「さすがに仕事を質に取られたら、身動きできないや」

自分の作ったものを木端微塵に壊されるぐらいはかまわないよ。
でも、あの会社は俺のものじゃないし。
だとしても、それでも君を離さないって言えないどうしようもなく小さな自分を許して欲しい。
君だけだって言えない卑怯な自分を許して欲しい。
そう言って、最後に一度だけ、抱きしめさせて、と少し掠れた声で言う。
最後なんて言わないで、そう言いたかったけれど、私が言えたことではないから。
何も言えず、ただ、抱き締め合った。






翌日、法務担当教員のところへ出向いた。

「先生、私、自分を護りたいんです」

言えば、年に何人か来るのよね、お嬢様って大変ねと慣れたふうに返された。
恋愛は自由だと言った父の言葉を読み替えるのならば、婚姻は自由にはしないということだろうと気が付いたから。
本人以外が勝手に婚姻などの手続きを行えないよう戸籍を護りたいと教えを請うたのだ。
成人であれば可能だという言葉に従って役所に赴き手続きをする。
両親に守られたこれまでだったけれど、家を、言ってしまえば父の地位を守るほどの義務は背負わされていないはずだから。
就職活動と並行して来春からの自立のための資金を確保するためにアルバイトをこれまで以上に精を出して勤めた。

それでも毎月15日だけは、彼に迷惑を掛けないよう、家に籠った。






















出版社に籍を置き、独り暮らしをはじめて、もう何年になっただろう。
何か月かに一度、父が強引に推し進める縁談に付き合わされて週末に見も知らない男性と食事をする。
やれということに逆らいはしない。
ただ、はい、いいえ、以外に言葉を口にせず、淡々と料理を食べて食べ終えれば失礼の無いように挨拶をして帰る。
勝手に差し出された釣書に沿って話を進める相手に相槌を打つ必要もないだろうということなだけ。
勿論、その内容に偽りがあれば訂正する。
私のことなど、生年月日と学歴以外に何も知らないだろう父が書いた釣書だろうから。
それを繰り返した。

実家に行くのは年に数度。
仕事が忙しい、それを理由に呼び出しの殆どを退けた。
社屋に出向かなくても、街角で、公園で。むしろフィールドワークに近い手法で情報収集はできるから。

そして理由はもうひとつ。

あの人の、作品に、であうため。


携わった作品にはどんなに小さくても銘を残すんだよ、と最初の出会いから暫くして教えてもらっていた。
だから、アルバイト先の、月替わりの作品から始まって、街で出会う沢山のディスプレイを最初は目を凝らして見つめるなんてふうに彼を探したけれど、最近ではちょっとしたハイドアンドシークを楽しむぐらいに見つけるのが上手になってきた。
そして、思う。
あの頃よりも、ずっとずっと作品の精度が高まって。
ずっとずっと、沢山のひとの心に届くようなメッセージを作っていて。
ずっとずっと、沢山のひとの目に触れられるようになってきている、と。
市内の鉄道のターミナル駅に彼の作品を見つけた時にはあまりにも驚いて、嬉しくて、泣いてしまったものだから女性の駅員さんが飛び出してきた、なんてこともあった。
老舗百貨店のクリスマスツリーに彼を見つけた時は正時毎に舞い降りてくる雪を、結局開店から閉店まで飽かず眺めていたものだから最後には初老の警備員さんに温かいお茶を貰ってしまった、なんてこともあった。

見つける度に、その姿を手にしたカメラで切り取る。
そうして集めた彼の欠片たちは、
最初の美術館デートで買ってもらったフォトアルバムがもうあと少しで満室になってしまうぐらいに嵩を増していた。



その日は、父に呼び出された日曜の、午後だった。
市内の、伝統文化の色濃く配された装飾で有名な歴史の深い迎賓館を訪れたのは仕事でのことを含めはじめてではなかったけれど、いままでとは何かが違うと、すこし、鳥肌が立った。
そぐわない、そういうことではなくて、知っているはずなのに、未知の空間とでもいうのか。
敷かれた緋色の、毛足の長い絨毯に足音が吸い込まれていく。と、正面から階上へ続く大階段の両脇。
対に飾られたポーチに、あ、と思わず声を上げた。
前を歩いていた両親が振り返るよりも早く、視線を上げた先。
階段の踊り場正面に据えられたアルコーブに、

彼の、大きな、輝く欠片を、見つけた。


それきり動かなくなったのを、両親がどう思ったか、どう見ていたかは知らない。
ただ、滂沱の涙を流すのに咎める人は無く、
ただ、静かにそこに居た。


そして思い出した。
先日、この館の美術コンペが完全非公開で行われて、新鋭のデザイン事務所がその枠のひとつを勝ち取ったという話を。
この件の取材も勿論試みたが袖にされたと上司が確かに言っていた。

こんなところにまで、彼は色を置くようになったのだ。
影ながら応援してきた、なんて口にできるひとでは、なくなったのだ。
でも、遠くに行ってしまったひとだけれど、こうして彼の感性に、心に、近付き、触れることはまだ、許されるだろうか。

小さな、小さな、銘に、そっと触れてみる。





「お気に召して頂けました?」

耳に届く、優しい響き。
記憶にあるそれより、少しだけ深くなって、
聞きたいと願い続けたそれより、少しだけ柔らかな。

「・・・伺いたいことが、たくさんあるんです」

小さく返した声。
今度はちゃんと、届けられただろうか。
思うより早く、最後の日より強い力でその腕に囲われて。

「本当に、いつまで経っても泣き虫だね」

目尻に、額に、鼻の頭に唇が触れていって。

そして、

「涙を止める、おまじないをするよ」


息が止まるほどの熱い、けれど、この上なく甘美な口付けをくれた




















数日前に仕事を終えたばかりのクライアントから呼び出しの電話があった。
ディスプレイの手直しやちょっとした修復というのはよくある話。
何故ならここの事務所が手掛けるものは所謂『手を触れないでください』といった美術展示を目指しているのではなく体感することも作品を愛でてもらう手法のひとつと考えているから。
勿論、ガラスケースの中に作り上げる時もあるからすべてがそういうものにはならなかったけれど。
状況によって持ち出す道具も変わってくるから現場の写真を、とお願いしたから道具はたぶんいらないから取り敢えず来い、という話でなんだろうと首を傾げつつも事務所を出る。
・・・今日は早く帰ってたまには家のベッドで休もうと思ってたのになぁ。
なんてボヤキは口の中で消えた。

道具はいらないと言われたので社用車を使う訳にもいかず、大通りで拾ったタクシーに乗り込んだ。
ボスへの連絡は現着してからでいいだろうと鞄の中に入れていた雑誌を広げた。

大手出版社が発行しているタウン情報誌。
もし大事でなければ仕事先の近隣にある飲食街に寄って食事を済ませて帰ろうかな、なんて呑気なことを考えながらページを捲る。
雑誌を見てデートスポットのリサーチをするなんてここ何年もしたことが無かったけれど、この雑誌に載るグルメ情報はなかなか面白いのだ。そこかしこに散りばめられたスナップショットが、まるであの人の目を通したもののように感じられるのもこれを手に取る理由かもしれない。
それに、ほんの偶にだけれど自分達の作ったモノが作品として紹介されることもあって。
そんな贔屓目も多少、あるかもしれない。


タクシーを降りると門柱の前に見知った職員が立っていた。

「・・・お待たせしました、」

「いえ、」

「破損ですか?」

「いえ、そうじゃないんです。今日はひと組だけ会食が予定されいたんですが・・・」

「会食、ですか・・・」

会食と、ディスプレイと、何が関係あるのだろう。
まさか気に食わないから片付けろなんてことだろうかと一瞬言葉を失えば。

「ええ、そのお客様が、あ・・・」

「え?」

あ、と振り返った先に、初老の夫婦が見えた。

「あ・・・」

此方の声が聞こえたわけでもないだろうけれど、ふたりの歩みが止まった。
突然のことに驚いたけれど、そのまま深い礼を執れば夫人は軽い会釈を返してくれた。

「・・・お知り合いですか?」

「ええ、まあ」

男性は不動のまま一瞥を投げてから駐車場に歩いて行き、夫人も後を追った。

「・・・なるほど」

「え?」

「いえ、ともかく中へ」

こんなところにあの夫婦がどんな用で現れたのか。
会食と言った。
とても上機嫌には見えなかった。
でも、夫人はこの担当者のようにどこか得心がいった、ような表情をしていたようにも思う。


木製の自動扉がゆっくりと開いた。
視線の先に続くのは、何度も見てきた大階段があって。


自分の作り上げたディスプレイの前に音もなく佇む人がいた。


まさか、こんなことがあるんだろうか。


「ずっと、ああして・・・、」

「・・・そうですか」

それでは、あとは宜しくお願いしますね、と彼女の静を破らぬよう退いてくれた人に小さく頷いて返す。
緋色の絨毯は革靴の底の音すら吸い取って。
自分の周りからも音が消えていく。
一段ずつ階段を上がる度、近付くその人の後ろ姿。
シンプルな紺色のパンツスーツは、今日の会食の場―恐らくは見合いの類だろう―には少々そぐわなそうだったけれど洗練された雰囲気が良く伝わってくる。
ああ、きっと一生懸命に時を過ごしてきたんだろうな、と思う。
けれど、近付くほどに鼻を啜る音が聞こえてきて、また、泣いてる、と思わず笑ってしまった。
だって、その音すら懐かしく感じて、愛しく思えて、
また、出会えたんだ、
そう実感できたから。
そして、これが自分の創ったモノであると分かってくれたことに思うのは、
幸せだ、
ということだけ。

だから、こうやって問いかけよう。



「・・・お気に召して頂けました?」



何年経っても泣き虫な君を、
この腕に閉じ込めるまで、あと、もう一歩。










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こんばんは*0904



毎度お越しをいただきましてありがとうございます。
週はじめ月曜の夜、皆様如何お過ごしでしょうか?

こちとら、朝っからその踏切を超えないと黄色い電車に乗れないんだよ!って路線で事故が勃発しましてね。

なんてはじまりでございました。
朝からサイレン鳴らした働く自動車がワンサカ集まっている様子がただならないと朝食の食卓でざわつきました。
最寄りの踏切は開いてましたが、職場の同僚は閉っていた踏切を皆で乗り越えての出勤だったと言っていました。
うん、彼女の家の方が現場により近いからね。

それから、雨の日なのに午前外来がとても混んでいて・・・。
雨の日ポイントとか付かないのに、よく来てくださるもんだと感心しつつヘタレつつ。

そして、ついに9月になりました。
せぷてんばー。
どぅーゆりめんばー、せぷてんばー。(特に意味はありません)
9月は色々と事件があったなぁと急に思い出しました。
ハワイと雨メロとか、今世紀最大のにゅーーーす、とか・・・。


さて。
先日のあの動揺記事の後、日本でも出来事が。

たきつ、活動休止とか。

マジか、とこれもまたびっくりしたであります。
とぅーまをめぐるたきつのアレコレなど思い出したり語ったりすればキリがないのでアレですが・・・。
たき様の後悔、というのをずーっと前にアイドル誌で読んだことがあって、そうだよね、アンタが悪かったよ、ほんとにね。
と思ったことも思い出のひとつです・・・。
私の中では彼らについては最早『夢物語』(とぅーまも踊った)ぐらいで追うのをやめていますが・・・(おい)。

ま、活動休止とはいえ、個々のスケジュールがない訳じゃなく、歌を出さない、コンサートをしない、ってことであってもう二度と隣に並ぶ姿をみられないという訳じゃなく、例えば年越しイベントなんかには出てきて二人並んで歌うってこともあるわけで。

・・・考えるとまたしょんぼりするので、やめておきましょう。

ぐっすん。


ということで、明日の予告でございます。
『デリ売り』第2弾です。
今回は1話読みきりです。

デリ売ってる女の子というところだけがシリーズの所以。
ですが、お楽しみいただけると幸いです。

それでは、
明日、朝の9時に。
またのお越しをお待ちしております<(_ _)>